春日大社 / 東大寺

神護景雲2年(768年)、平城京の守護と国民の繁栄をお祈りする為に創建された春日大社。命が鹿に乗ってきたという伝説から、奈良では鹿が神のお使いとして大事にされ、天然記念物にもなっています。
四角い灯篭がびっしりと並ぶ参道を南へ行くと春日大社摂社の若宮神社があります。師走の風物詩、春日若宮おん祭り(12月15〜18日)はここの例祭です。

 
二の鳥居をくぐって右に入ると春日大社宝物殿があります。
武将から奉納された申胄や太刀を始め、鎧、鏡、蒔絵手箱、舞楽面など、平安から鎌倉、南北朝時代にかけての美術工芸品が多く、貴族の生活ぶりを偲ばせてくれる蔵品たち。中には国宝・重文を含みます。
季節ごとに展示替えをしながら公開しています。

春日大社砂ずりの藤
イチイガシの自然のまま残る約3万平方メートルの苑内に、「万葉集」で詠われた約300種の植物を集めた植物園です。
それぞれの植物には和歌を記したプレートが表示されています。
春日大社のシンボル、藤が約200本も植えられた藤の園や、舞楽が奉納される浮舞台(11月3日、5月5日)などもあります。

1月2日 日供始式並 興福寺貫首社参式
1月3日 神楽始式
1月7日 御祈祷始式
1月10日 舞楽始式
2月3日 節分万燈籠
3月15日 御田植神事
4月3日 ひと雛まつり
4月5日 水谷神社鎮花祭
5月5日 菖蒲祭(端午の節供祭)
5月10日 献茶祭
5月11日〜12日 薪御能
6月30日 夏越大祓式
8月14日〜15日 中元万燈籠
9月 采女祭
10月9日 重陽節供祭・献香祭
11月3日 文化の日舞楽演奏会
12月15日〜18日 春日若宮おん祭
12月31日 年越大祓式
毎月1日・11日・21日 旬祭

春日大社原始林うぐいすの滝


■ 日供始式並 興福寺貫首社参式
年中奉る朝夕の日供を年頭にあたって本年も恙なくご奉仕できるよう祈念し、大神様のご加護を願う。 興福寺貫首社参式では当社とゆかりの深い興福寺の住職が、神前にて読経を行う。

■ 神楽始式
社伝神楽の奉奏始めに御巫が秘曲である「神おろし」を奏し、また一臈の御巫が「千代」を奏して国家の安泰ならびに今年一年間、神楽の奉奏が恙なくご奉仕できるよう祈念する。

■ 節分万燈籠
境内の3,000に及ぶ燈籠は、800年の昔より藤原氏を始め広く一般庶民より奉納されたもので、回廊沿いの御手洗川に映る灯影には幻想の世界が現れ、参拝者で賑わいます。

■ ひと雛まつり
旧暦の桃の節句に合わせ、春日大社神苑で雅な雛まつりを再現。王朝装束を着装したお雛様たちが華やかに勢ぞろい。普段直接見る機会のない「束帯」や「十二単」など平安調の衣装の着付けを解説付きで行ない、雛壇に勢揃いした後、舞楽の奉納する。その後、男雛、女雛役などが池に向かい、流し雛の所作を行います。当日の参加者もご希望の方は流し雛(500円)を行うことができます。

■ 菖蒲祭(端午の節供祭)
古式神饌に粽に菖蒲と蓬を添えてお供えし、子供の幸せを祈る。祭典後、舞楽と少年剣士による剣道形が奉納される。また午後1時からは、神苑で、子供の日舞楽演奏会が行なわれる。

■ 中元万燈籠
境内の3,000に及ぶ燈籠は、800年の昔より藤原氏を始め広く一般庶民より奉納されたもので、回廊沿いの御手洗川に映る灯影には幻想の世界が現れ、参拝者で賑わいます。

■ 文化の日舞楽演奏会
神苑内の池の中ノ島に張り出した舞台で行われる雅楽で、入苑者は池の岸辺から参観できる。11月は紅葉が美しく、ちなみに苑内には万葉集に詠まれた約270種の植物が集められている。

■ 春日若宮おん祭
春日大社摂社若宮神社の例祭。 平安末期の保延2年(1136)、関白藤原忠通が五穀豊穣を祈って始めた祭りといわれています。17日未明、若宮の神霊を一の鳥居脇のお旅所に遷し、日中はこれに団参する芸能・武芸・大名等のお渡りが、また夜半神霊還幸まで神楽・舞楽・田楽・細男等の奉納芸能が見られます。

■ 年越大祓式
半年の間の識らず識らずのうちに身についた罪や穢れを祓い去り、新年を清らかな心身で迎える神事。

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大仏で知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大の木造建築物です。
天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)建立の勅願を発令し、その大仏を安置する寺として国力を挙げて造営されました。
天平勝宝4年(752)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって寺観が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。
しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしました。重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。

東大寺二月堂
鑑真和上が聖武天皇らに戒(僧の免許)を授けた翌年の天平勝宝7年(755)、考謙天皇の宣旨で開かれたのが東大寺戒壇院。江戸中期債権の戒壇堂(重文)に入ると3段式の戒壇があり、中央に小さな多宝塔が置かれています。
戒壇とは受戒の行われるところで、 受戒とは僧侶として守るべき事を確かに履行する旨を仏前に誓う儀式で最も厳粛なものであり、 従って戒壇は神聖な場所であります。
四隅を護っているのが天平彫刻」の傑作とされる四天王像、いずれも国宝です。薄暗い中で間近に見上げる像は博物館で見るより生々しさを感じます。
旧暦2月(現在は3月1〜14日)に修二会(しゅにえ)が行われることからこのように呼ばれています。
修二会とは 二月堂本尊の観音菩薩に罪障を懺悔し、世界平和、国家の安泰、万民の豊楽を祈る十一面悔過法要で、天平勝宝四年(752)より欠かさず行われてきたと伝えられています。
斜面に建つ舞台造のお堂(重文)は江戸前期の再建。舞台からは東大寺境内はもちろん奈良市街、生駒山までも一望できます。

東大寺二月堂、修二会
二月堂から少し南より。旧暦3月に法華会が行われたことからこのように呼ばれています。
建物は天平18年頃建立の本堂と礼堂を鎌倉時代に1つの屋根に収めたもので、東大寺最古です。
ひんやりした堂内には本尊の不空羂索観音立像を中心に天平仏の傑作が立ち並んでいます。3つの目と8本の手を持つ本尊は、周囲を圧倒する存在感です。安置された16体のうち、執金剛神立像だけは12月16日だけ開扉の秘仏になっています。


1月1日〜15日 初もうで
1月7日 修正会
2月3日 節分・星祭
3月1日〜14日 修二会(しゅにえ)
3月15日 だったん帽
4月8日 仏生会
5月2日 聖武天皇祭
7月28日 解除会(げじょえ)
8月7日 大仏さまお身ぬぐい
8月9日 およく   
8月15日 大仏殿万燈供養
10月15日 大仏さま秋の祭り
12月14日 仏名会
12月16日 方広会  
12月31日 除夜の鐘


■ 修正会
平安時代には講堂などで元日から七日間にわたって「修正会」が勤められ、また鎌倉時代になると大仏殿の主要な法会の一つにもなり、夜は舞楽が演ぜられるなど、厳粛で盛大な法会が営まれていました。しかし、応仁の乱から続く戦乱の時代をむかえるに至って、東大寺は伽藍の多くを焼失するとともに、この「修正会」も続けることが出来なくなってしまいました。現在行っている「修正会」は、江戸時代になって再興されたもので、正月七日に大仏殿で初夜・後夜の法要をお勤めしています。

■ 節分・星祭
午前10時頃から二月堂東南の飯道神社上の壇で還宮作法が厳修され、山のように積み上げられたお札に点火されます。年末から前日までに古くなったお札などを二月堂の受付に持参しておくと、還宮作法修法の上、浄火で焚き上げてもらうことができます(無料)。
一方、 「星祭り」 は、星に「除災与楽」を祈る法会のことをいいます。災いを遠ざけ幸せを呼び込みたいという思いは、人々の変わらぬ願いではないでしょうか。東大寺では 毎年二月の節分の日の夕刻、 二月堂本堂に 万灯明をともし、 「星曼荼羅」を掲げてこの修法を勤めます。

■ 修二会(しゅにえ)
行中の3月12日深夜には、「お水取り」といって、若狭井という井戸から観音さまにお供えする「お香水」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火がともされ、参集した人々をわかせます。

■ 仏生会
一山の僧侶が、「鈍色」と呼んでいる装束で大仏殿の集会所に集まります。仏生会で導師の役をつとめる者は、ここで「法服」と呼んでいる法衣にきがえ、他の式衆とともに大仏殿での法要にむけて集会所を後にします。

■ 聖武天皇祭
五十六歳で崩御された聖武天皇の御忌法要で、午前8時から、聖武天皇をおまつりしている天皇殿で論議法要が行われます(午前11:30頃まで)。この法要中に限り、日ごろは公開されていない天皇殿を参拝することが出来ます。

■ 解除会(げじょえ)
わが国で古来より行われていた六月の晦の「夏越の祓」や「水無月祓」と深い閑係がある仏会です。 法要は、 出仕する僧侶が直径2m余の大きな茅の輪をくぐり 、午前8時より始まります。

■ 大仏さまお身ぬぐい
200人程の僧侶や関係者が、早朝より二月堂の湯屋で身を清め、白装束に藁草履姿で大仏殿に集合、午前7時より撥遣作法が行われた後、全員でお経を唱え、年に一度の大仏さまの「お身拭い」を始めます。午前9時30分頃には終了。そのあと、大仏殿の消防設備の放水試験などが行われます。

■ 大仏殿万燈供養
東大寺大仏殿では、盂蘭盆の最終日、8月15日の夜、大仏さまにたくさんの灯籠をお供えして、万灯供養会を厳修いたします。大仏殿の万燈供養会は、お盆に帰省できない方々にもせめて御先祖の供養をしていただけるようにという趣旨で、昭和60年に始められました。

■ 除夜の鐘
今でも大鐘を撞く時は撞座の下を撞いていますが、鎌倉時代に力持の武将、朝比奈三郎が撞いたところ三日三晩鐘がなりやまなかったので、その後撞座の下を撞くようになったといわれています。
鐘が大きいので、先着順に8名づつ程の組になって綱をひくことになります。

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